第3回 子育て支援センター九州セミナー
実績報告書

 

パネルトーク 第1部

倉石:パネルトークの趣旨がユニーク。思春期の問題から子育ての問題を考えていこうという。
学生の問題を聞いた時、「私たちは最後は誰かがどうにかしてくれると思っているんです」と聞いた事がある。名言だと思っている。
宇野先生から、スクールカウンセラーの立場で事例を、増山先生からは社会的・マクロ的視点で話してもらう。そのあとに、質問形式で、そしてそれぞれ発言トークをしていただく。更に、フィリップ「一言で言うならば」ということで紙に書いて、張り出していきます。

宇野:思春期の相談を受けているが、養老先生ではないが、学ぼうと思えばどこまでも学べるのが人間の姿だと思っている。
ここ十年は、相談内容に変化がある。非行傾向から人間関係に悩んでいる、という相談が多くなった。

事例1:非行傾向。先生から注意を受ける事が多く、逆切れした事が発端となった。反省文を書かないので出席停止になった。以後、親の依頼によって話を聞くようになった。
話す中で(今回の件とは)関係ない話は、話すようになった。しかし家庭生活の話になると、黙る。
両親は熱心だった。なぜこうなったのかがわからない。父親は熱弁をふるうが、母親は沈黙。母親だけの個別面接の時、父親の(教育)熱について行くのがやっとだったという言葉を聞く。
子どもに御両親はとてもあなたの事に一生懸命だよ、と伝えると「こんな時だけ一緒になってやってくる」と怒りそれからは、正面を向いて話すようになってきた。

事例2:夏休みを過ぎると休みがちになり、3学期は全休。ひきこもり傾向。保護者に会ってください、という事で会うと、学校の先生の不満を言われる。
お母さんはお父さんに相談するが、ちょっと待ってみようか、という発言に自分の発言がはぐらかされた気になっていた。それから、生徒は母親から詰問されるようになっていった。どうして、どうして、とあまりにも尋ねるので「部活が」、という一言から部活が、学校が、先生が、とどんどん学校に対する不信感が大きくなっていった。

事例3:いじめ。部活の先輩から仲間はずれにされている。応援旗作成の行き違いから、ニコニコされた。違和感を感じた。しかとされている、と感じている。
保護者の方と面談した。3年生の時に少しいじめにあっていた。その時に、親に相談したら父親は大丈夫、自分を信じなさいというが、母親は心配していろいろ聞いてきた。自分を認められなければ、おかしい、ということがあった。相手が自分をどうみているかが気になる子どもになっていた。

親も子どもも、臆病になっているのではないか。3例の共通項は、家庭内の会話力が少なくなっているのではないか。
1例は、不安感。2例は、モデルの少なさ。3例、誰にも相談せずにいた。しかし3例とも、とても熱心な家庭であるにも関わらず。

倉石:理由を知らないと不安でならない親も多いのではないか。答えが無いと不安になる親も多いのではないか。養老先生の話とつながる。次は社会的・マクロ的視点で話をしていただきたい。

増山:思春期は会話力の低さ、とあったが、人間関係に敏感になっている。体全部が神経のごとく敏感になっている。パブリックとプライベートがあり、上手に行き来しなければならない。建前と本音もそうではないか。
かつては社会に追い出す、十三参り、といって旅に出させた。桃太郎も13の年で、止めるどころか、きび団子を持たせて追い出すほどだった。大人にさせていた。
しかし市民としての生活は、今の思春期は学校に閉じ込められている、という状況である。
思春期も含めて、全体的に捉えなければならない。
人生は思春期の課題と親の思秋期の問題は同時期にセットとして今現在はあると思っている。スパンが長くなった分、子どもの問題と共に、親の介護の問題も関わってくるのが今の親の課題と言える。

 

倉石:今は就職も親の仕事、と大学は言いだした。キャリアガイダンス、といって大学側もやりだした。親はどこまで関わればいいのか、という事になりつつある。
ここからは、バトルトークとなります。

  1. 思春期の課題は何か
  2. 幼少期の子育てを考える
  3. 子どもが育つためにはどういう支援が必要か
  4. 子育てに対するメッセージは何か

これがフィリップとしてボードに張られます。

  1. 倉石:「親と子の距離」。お母さんなんか大嫌いと、中学の娘から言われた。しかし、なぜそういう事を娘が言うのかがわからない。

宇野:「親と子と地域との距離」。親と子のキャッチボール教室をやっているが、それがあっているのかどうかについて不安がる保護者が多くなっている。目の当たりにしている保護者は、情報はあるが確認しないと不安になっている。
地域で子育て支援をしようとするが、地域支援で参加される人が多くて、参加する親が少ない。距離が近いか、遠くかどちらかになってしまい、按配が無くなった。
増し山:「自尊心、自己肯定感」。子どもが踏み出そうとする時期に、親も安心して手放そうとする、という事はそれ以前の親子の関わりが問題になってくるはずだ。学校では少しずつエネルギーが削がれているイメージがある。そうだとすれば、家庭が、地域がその役割を果たせねばならない。
責任を果たせる「役」が子育てには必要になる。それが、地域の仕組みとして必要になるのではないだろうか。

  1. 群れ:地域のネットワーク、継続:そだつ(教育に偏らない)

宇野:「子育てネットワークと継続」。信頼感があれば大丈夫ではないか。続けていくしかないかな、と思っている。
倉石:「群れ」。親も子も群れる、というのが大切ではないか。子どもは子どもで群れ褪せて、親は親でと思っている。祭りは大変だけど、いろんな人が群れてくる。タカラツカ市では、祭りを青少年高校生を中心に企画させている。役を与えて、責任と自覚を教えようとしている。
増山:「そだつ(教育にこだわらない)」。60年代から子育てという事が広がっていった。教育と子育てをセットに考えているようになってきた。支配的になってきた。しかし、もっと教育と言う前に養育、遊育ということを充実させないと。特に乳幼児期は。
子ども同士の遊びの中に人間の基礎は培われる。

  1. 想像力:大人はみんなモデルという意識:仲間作り

増山:「仲間作り」。今は、空間と時間と仲間が失われた。遊び場と思えば、遊び場になる。長ければいいという事でもないだろう。年に1回のキャンプでも時間になる。しかし、仲間は、いなければどうにもならない。作り出していかなければならない。その装置が必要になる。その中には役割というものが出来て、責任と連帯が出来てくる。
宇野:「大人はみんなモデルという意識」。モデルという意識が必要。中学校の子は熱く訴えるのはカッコ悪い、という意識が見えてくる。言葉にする事が下手くそになっている。関わりあいが薄くなっている、ということがあるかもしれない。
モデルになっているという意識を持った大人が増えなければならない。
倉石:「想像力、共感」。共感する時には想像力が不可欠になってくる。しかし今は、教える、答えを出す、という。または、すぐに答えを出してくるのが当たり前になっている。しかし、答えを出す前に自分で想像する、という事も大事になってくるのではないか。

  1. 村上:今、我々には実現する力が求められているのではないだろうか。

倉石:「当事者性」。利用者をどう力を引き出していくか。少ない時に来てくれた方はどんな思いだったのか等、参加している人の気持ちはどうだったのか。少ない日にも意味があるのではないか。運営委員会は当事者の方にも入っていただく、等工夫が必要ではないか。
宇野:「子育ては親育てを考える」。
増し山:「長く大きな物差しを当てていく」。

まとめ:思春期から今を見据えて子育てを考えるという事は大事なことではないか。親の問題でもだんだん自信を無くされているのではないだろうか。支援者が楽しまなければ、楽しめないのではないだろうか。

村上:皆今、臆病になっている。我々もそうではないか。しかし、その結果その責任を負わされるのは子どもたちではないか。ならば、今、我々がチャレンジしなければならない課題ではないだろうか。

 

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